兼平慶一郎 (1930-1985)
地質調査路線図(千葉大学大学院理学研究科所蔵)
- 嶺岡林道総括図
- 嶺岡林道ルートマップ1位置図
- 嶺岡林道ルートマップ1露頭調査図
- 嶺岡林道ルートマップ2位置図
- 嶺岡林道ルートマップ2露頭調査図
- 嶺岡林道ルートマップ3位置図
- 嶺岡林道ルートマップ3露頭調査図
- 衣笠周辺地域位置図
- 「衣笠」露頭調査図
- 「平作」露頭調査図
- 「池上」露頭調査図
略歴
- 昭和5年(1930)4月16日 岩手県盛岡市にて出生
- 昭和33年(1958)3月 東京大学大学院数物系研究科地質学専門課程博士課程 修了
- 昭和33年(1958)4月 東京大学理学部助手
- 昭和37年(1962)7月 千葉大学文理学部助手
- 昭和40年(1965)8月 千葉大学文理学部助教授
- 昭和43年(1968)4月 千葉大学理学部助教授
- 昭和48年(1973)4月 千葉大学理学部教授
- 昭和48年(1973)4月~昭和56年(1981)3月 国立極地研究所教授を併任
- 昭和60年(1985)10月6日 死去(55歳)
業績
故兼平教授は鉱床学・岩石学・地質学の多岐にわたる分野において学生の教育と後輩の指導に熱意をもってあたり、多くの優れた人材を育成した。故兼平教授が特に力を注ぎ学界に貢献した顕著な業績は次の4つである。
- 三波川変成帯と呼ばれる高圧型の広域変成帯に発達する別子型層状含銅硫化鉄鉱鉱床の研究である。この研究は熱力学的な安定性という観点から鉱物組み合わせを解析するとともに同型鉱床が火山堆積性であり、母岩とともに三波川変成作用を受けていることを明らかにした。
- 正マグマ性鉱床の研究を通じて、同鉱床の一部はマグマの不混和現象によって形成されることを立証したことである。さらに上記1の研究成果とあわせて日本列島における多種類の鉱床の成因について日本列島の構造形成史や火成活動史と関連させて明快に説明した。
- 高圧型変成岩の研究一環として、周辺の岩石に比較して一段と高圧の形成条件を示す鉱物あるいは岩塊が蛇紋岩中に産出していることを報告した。これが横ずれ構造帯の発達や高圧変成岩の上昇機構に対して新しい視点を与え、日本におけるプレートテクトニクス理論の深化に大きく貢献するものとして今なお研究史上高い評価を受けている。
- 房総半島嶺岡山地ならびに三浦半島衣笠地方に産出する変成岩・玄武岩・蛇紋岩に対する徹底した地質学的・岩石学的調査、研究である。これは故兼平教授のライフワークとも言うべきものであり、嶺岡山地から衣笠にいたる地域が南関東の地質構造形成と地殻変動解明の重要な鍵を握っていることについて研究成果を基に発信続けられていた。蓄積された膨大なデータをまとめようとされる最中、残念ながら55歳で病に倒れられた。
未公表データの公開
業績のなかでも述べられているように故兼平教授がライフワークとして取り組まれた嶺岡-衣笠地域の貴重な未公表フィールドデータを所管する千葉大学大学院理学研究科地球科学専攻と御遺族の御了解を得て公表する。嶺岡山地は故兼平教授が研究に没頭された1960~80年代前半時期に比して露頭調査の条件は悪化している。また衣笠地方も宅地造成などのためかつての露頭が失われている箇所も少なくない。故兼平教授の未公表データが今後の研究に貢献することを期待したい。