日 時

2019年11月8日(金)15:30~17:00

場 所

学士会館2階202号室(東京都千代田区神田錦町3-28)

参加者

87名

齊藤靖二会長挨拶

 町田 洋博士は,広域火山灰層序を確立するなど,応用範囲が広い成果を上げた.さらに,東京大学出版会から発行した「火山灰アトラス」により普及活動にも貢献した.これを顕彰するため,東京地学協会メダルを贈呈した.

町田 洋博士講演

▲町田洋博士
▲6月15日の表彰式にて町田夫妻

事始め

 戦後まもなく中学2年のとき私は病気で休学し,療養を兼ねて多摩丘陵などを歩き自然に親しんだ.その過程で地学に興味をもったが,大学の教養学部で木内信蔵先生に話を伺い,本郷の理学部で地理学を専攻することにした.大学院に進学し,何をテーマとすべきかを考える上で,「現在は過去の鍵」は地学の基礎であることに思いを寄せ,鍵になるような現在の捉え方を考えるべきだ,大きな地形変化をもたらすのは稀にしか起こらない自然の猛威に関係する諸現象だと考え,まず山地の侵食堆積による地形変化を追求しようとした(スライド1).

 当時の東大地理教室の雰囲気はよかったが,隣接分野との交流は少なく,地形学に籠り勝ちで,地質時代の具体的な認識もやや不十分であることが気になった.

▲スライド1

 就職した東京都立大学の地理学科では,地質学や地球物理の学科がなかったこともあって,それをカバーすべくスタッフの研究対象と興味は広く,かつ自由な雰囲気で,大いに楽しむことができた.とくに貝塚先生には大きな影響を受けた.その頃,地理学と地質学,考古学などを含む学際的な「第四紀学会」ができた.学際的研究はともすれば雑学と呼ばれやすい.伝統のある学科ではこの種の雑学は嫌われ,より純度の高い(論理がしっかりしている)ものほど好まれる傾向があった.しかし私は新設の都立大地理教室での雰囲気を好み,多方面に興味が拡がる雑学こそ新しいものを生み出すと信じていた.

 そういう環境のもとで,有史時代に起こった安倍川上流や立山常願寺川,姫川流域の大規模崩壊と山間部河川の荒廃(急速な地形変化)に取り組み,崩壊と侵食が起こした数十~数百年間の地形発達史を考察した. 同じころ,富士山大沢崩れの調査を3年間続け,最後になぜ,いつ崩れたのかを解く過程でテフラに出会った.

 そのなかで,大沢崩れの初期の堆積物は,2500年ほど前の大沢スコリア層やその下の天城カワゴ平軽石層の噴火より若く,14C年代では約1000年前だったことがわかった.そしてこれらのテフラは山麓から静岡方面に広く分布し,しかも直下に土器が埋もれていることを観察し,当時の先史文化や環境の地域性が解明できると直感した.またこれらより古い,夥しいテフラを調べてみると富士山について溶岩や泥流堆積物をもとにして研究されていた津屋先生の知見を検証することができると目標を定めて,各地でテフラ層を繰り返し観察することにした(スライド2).

▲スライド2

富士山のテフラと関東ローム・黒土層

 爆発的活動で噴き上げられたテフラは,多くの場合上層の卓越風に送られて火山より東に広く分布する.富士山のテフラも主火口から16km東にある駿河小山周辺では数百枚以上,厚さ160m以上であったが,東の相模野では20~10m,武蔵野では6~7mになり,風化のため個々のスコリア層は一般に不明瞭化し褐色で塊状のいわゆる関東ローム層となる.ただし台地・丘陵地を刻む谷底の泥炭層などでは,1枚1枚のスコリア層が保存されているので降下堆積したことは確かで,南関東の立川・武蔵野ローム層(御嶽第1テフラ以上,約10万年間)は主に富士山起源のテフラ群である.この地層は下末吉面・武蔵野面・立川面など段丘の形成・離水の変遷を示すことはすでによく知られていた.また旧石器や土器の産出層位からは人類活動の歴史もわかる.

 富士山麓のテフラ群の最上部には,どこでもおよそ1万年~6千年前に形成された厚さ1mを超える黒土(富士黒土層)がある(スライド3).これはその時期に火山活動が静穏だったこと,土壌化を促進させる生物環境があったことを示唆すると考えられた.またこれは関東ローム層の最上部の黒土層の下部につづく.この層から産出する土器からみると,縄文早期~前期(完新世前半の温暖期・海進期)に当たり完新世間氷期土壌と思える.富士山はこの時期の初期に溶岩流を盛んに流したがその後爆発的活動は静穏となった.その後再び頻繁に(盛んな活動期には平均して数十年間隔で)溶岩流や小規模なテフラを噴出する活動が続いた.途中で大規模山体崩壊も起こったがその後の活発な噴火活動で崩壊跡は埋められ現在の山体が建設された.

 縄文時代以前の時代については,まず南関東~東海地域に人々が出現する時代が,関東ローム層から旧石器が産出する約4万年前頃であることも判明した.後述の姶良丹沢テフラ(AT)と三瓶池田テフラ(SI)との中間層以上のローム層から旧石器が出現するからである.この時期はローム層の植物珪酸体層序研究では,海洋酸素同位体層序のステージ3で,海面低下期に挟まれた時期にあたる(佐瀬ほか2008).

 関東ローム相当の多量のスコリア質テフラを噴出した富士山の活動は,約10万年前の御嶽第1テフラあたりから始まったとみられる.それ以前の富士山の地形発達史はさほど明瞭ではないが,10万年前から25万年前の層には,玄武岩質富士山テフラにはほとんど含まれていない普通角閃石を含むテフラ層が複数認定され,テフラの組成も以後のそれと異なる.これから富士山の下にはやや珪長質のマグマによる火山(おそらく先小御岳,試錐で確認されている)があると思われる.

 このようにテフロクロノロジーは火山活動史,考古学と古環境,その年代解明と多方面の分野に重要な資料を提供する.

▲スライド3

 (3)富士山東麓におけるテフラ累層(ここでみられるのはおよそ1.5万年以降)

Ho:宝永テフラ(1707年),Gomf:御殿場岩屑なだれ(約2.8千年前),FB:富士黒土層,Mf2:東麓にある岩屑なだれの一つ

箱根火山と第四紀海面変化史

 箱根火山は富士山に比べてより古く,珪長質かつ多様な多数の軽石層を噴出した.これを解く上に箱根火山の東側にある大磯丘陵から横浜にかけての研究が鍵となったが,ここの地質層序はきわめて複雑で,解読するのに時間がかかり大いに勉強になった.1970年頃以降,新井房夫さんが協力してくださり,大きな力を得た.新井さんはテフラ1枚ごと,ユニットごとに含有鉱物組成やその屈折率を詳しく計測された.その過程で種々の興味ある火山学的~第四紀学的な知見を生産された.なによりも特定テフラの同定・広域対比が進んだ(スライド4:新井ほか,1977).

▲スライド4-1
▲スライド4-2

 箱根火山の爆発的噴火史は,中期更新世の後半,およそ50~60万年前頃には苦鉄質マグマによる活動(古期成層火山)が起こり,25万年前頃から珪長質マグマの活動に変わって,多数の大規模火砕流を噴出した.約6.6万年前に強羅カルデラで起こった爆発的活動はその中でも大きく,東京軽石と呼ばれた降下軽石と大規模火砕流を噴出した.この研究は大磯丘陵のテフラ層序を解く上で最初の鍵となった(町田・森山,1968).

 大磯丘陵のテフラ研究は箱根の火山活動史のみならず,海成や河成の段丘が発達する南関東の地形発達史・グローバルな環境変化史を解く上でも重要であった.このころ(1970年代)は世界各地の海底堆積物や氷床のコアから第四紀の気候海面変化史が酸素同位体層序研究とともに解明されつつあった時期で,南関東で得られた海面変化史もその一端を担ったものとなった(Machida,1981).海面変化史により更新世各時代の古海面高度がわかると地殻変動も解明できることになる.伊豆弧の東縁にあたる大磯丘陵から湘南海岸,三浦半島,房総半島南部,銚子半島では第四紀の隆起速度が列島中最大であることが認識できた(小池・町田,2001),これは本州中部に食い込んだフィリピン海プレートの沈み込みの盛んな活動を現している.これもテフロクロノロジーの成果の一つである.

巨大噴火,広域テフラの同定と各地の第四紀地史への適用

 1914年1月の桜島噴火では列島各地にテフラが降下した記録がある.また南関東の富士・箱根のテフラ群の間にも粒度や鉱物組成の点から,御嶽火山由来のテフラ層などが挟まれていることが知られていた.このようにテフラは広域に分布するので,関東にも遠隔地由来のテフラがある筈なので,箱根や平野の第四紀編年の仕事を一旦休止して,まず鳥取大山の軽石層群(黒雲母に富む)に注目した.新井さんと私はその野外調査の途次,思いがけず南関東でも注目していた(考古学者との間で論議してもいた)テフラと全くよく似た火山ガラス質のテフラ(丹沢パミス)に出会ったのである.それが南九州姶良カルデラの噴出物だとわかるまで時間はかからなかった(スライド5:町田・新井1976).このテフラは,改めて姶良テフラ(AT)と呼ばれ,日本各地に分布することが確かめられ,多数の14C法を主とする年代測定が試みられた.現在は九州から離れた水月湖において湖成の年縞堆積物についての詳細な計測からちょうど3万年前であったことがわかっている(Smith, et al, 2013).

▲スライド5
▲スライド6-1
▲スライド6-2

 ATの発見は,巨大噴火で噴出した大火砕流では巨大噴煙柱が形成され,それから広域に降下するテフラが形成されるという新知見を導くとともに(スライド6-1,2),同種の日本列島を包み込むような広域テフラの噴火は第四紀に決して稀な現象ではないこと,いうまでもなく海陸にわたり広域的な時間指標層となること,という知見を導いた(スライド7).その噴出量から考えて,大規模なカルデラ形成を伴った大噴火が原因と思われた.そして,日本だけでなく同じような規模の広域テフラが世界的に分布していることもわかった.

 巨大噴火は,日本列島とその周辺では平均して数千年間に1回は起こり,長期間中小の噴火を繰り返して生じた成層火山1個分くらいのマグマをごく短期間に噴出する現象である.一つのカルデラ火山では活動静穏期は数万年以上と長いが,繰り返し起こってきた.こうした巨大噴火の予測・予知問題にはどこまで迫れるのであろうか.

 広域テフラはテフロクロノロジーの鍵層となり,現在では,後期更新世はもとよりそれより古い地質時代についても発見・同定が続き,各地の層序・地形編年に用いられるようになった. テフラの同定は火山ガラスについての各種の化学分析が進んでより精密化し,また年代については噴出源近傍の堆積物の放射年代測定とともに遠隔地での湖底や海底での好条件の地層中で同定されて進んでいる.このため同定されたテフラ層は第四紀から鮮新世にまで及び,数を増した.その一部は現在鈴木毅彦さんと執筆中の「全面改訂版火山灰アトラス」に載せられる予定である.もちろん多様なマグマの噴出機構についての火山学的研究も進められている.

▲スライド7

各地の地形地質層序とテフラ研究の能力

 日本列島各地の地形発達史・地質層序研究では広域テフラを重要な時間指標層として,火山,海成段丘,地殻変動などに関係した編年を行うことができる(町田・新井1992,2003). 2000~2006年に東大出版会から,日本の地形シリーズ(全7巻)が刊行されて,編集執筆者の一人としていくつかの地域の発達史を執筆することができた. また日本第四紀学会の創立記念出版物として,1988「日本第四紀地図」,1996「第四紀露頭集」や2009「デジタルブック第四紀学」にも参加しテフロクロノロジーを紹介・活用した.

 今なお未登録のテフラの探索やそれらを活用して調べたい地域や問題も多数残っている.その一つは伊豆小笠原弧が本州中部に衝突沈み込む地域の層序や変動である.前述した富士火山は伊豆弧が本州弧に衝突・沈み込むまさにその地域を広く覆った火山で,その結果,地殻変動で生じた地形地質の姿は,わずかに富士の東側と西側地域にプレート境界の地層が異常に変位して(境界断層が大きくジャンプし,かつ変位して)露出するに過ぎない.主体はほとんど噴出物の下に埋もれてよくわからないが,これにはいくつかの前期~後期更新世テフラが挟まっているので,変動の異常さを知ることができる.将来さらに富士山など山体を作る噴出物に覆われた地質の研究によって,こうしたプレート境界での変動の詳細を知りたいものである.

 また銚子半島の太平洋に面した屏風ヶ浦の海食崖には東西10㎞に亘り第四紀のほぼ連続的な海成層が露出している.そこには夥しい数のテフラが見いだされ,当初はその解明に数十年はかかるだろうと思われたが,その後多くの研究者により特性記載が進んで同定されるようになった.ここには近距離の火山由来のもの以外に遠く離れた火山から飛来したものも多い.それらの由来・年代の資料に基づくと,種々の地域の古環境変化史(地形発達史)がさらに詳しく検討できる.遠隔地の条件に恵まれた地層中のテフラの研究は三方五湖の水月湖でみごとになされている.銚子の犬吠層群(上総層群)では前・中期更新世のテフラが揃っている.たとえば230万年前の富山平野・谷口テフラは飛騨山脈の麓に礫層に挟まれた火砕流起源で,飛騨山脈の隆起過程を関東平野の地史とともに追求できる.

 テフラの研究は多方面に適用される(スライド8).歴史を変えた可能性のある大災害や考古学の諸問題にも大きく関与する.約7.3千年前の鬼界アカホヤ噴火と西日本の縄文文化史との関係,十和田湖の完新世諸噴火と北日本の縄文文化,10世紀の白頭山大噴火や十和田湖の噴火と災害・環境・人類への影響,その機構など,興味深いが解読すべき問題が残されている事例も多い.このほか思い出すのは,考古学史上有名な遺跡ねつ造問題と関係したことも記憶に残っている.あの事件の初期の頃,東北地方で報告された「座散乱木遺跡」を新井,杉原,小田さん達と見学に行ったところ,なんと火砕流堆積物の中に多数の遺物が入っていた.これは信じがたい話であった.考古学研究者も地層の本質的性格に十分注意すればあのような展開にはならなかったと思われる.

▲スライド8

 私は理論や実験よりも前に野外調査を好みそれを重要視するタイプの研究者であった.雑学といわれて結構.まともなテーマは次々と展開していくものだと思っている.これまで学生のみならず,大勢の方がたを野外に案内し,野外観察の面白さを共有してきた.地学協会でも行事委員として「地学を楽しむ会」をお世話したのも記憶に残る.また定年退職後約20年余の間早稲田大学オープンカレッジで一般の興味をもつ方がたに講座を持つとともに,野外を案内して楽しむことができたのは幸せであった.研究には終わりはないと思っている.このような私の研究スタイルをわかってもらえたら有難い次第である.

 いうまでもないが私は貝塚爽平,新井房夫の両先輩を始めとして多くの研究仲間,長年講座や巡検に参加された多くの方がた,東京地学協会関係者の皆さんの支援に恵まれた.そして長年私の支えになってくれた妻みどりと家族に感謝する次第です.

  • 主な文献
    2010までの私の著作目録は次にまとめてある.
    • 2011「町田 洋著作目録とその解説」 軽石学雑誌,19号別刷,36p.
    これと重複する部分が多いが,読者の便宜のため本原稿で引用した文献はつぎのとおり.
    • 町田 洋(1964)Tephrochronologyによる富士火山とその周辺地域の発達史 地学雑誌73 293-308,337-350
    • 町田 洋・森山昭雄(1968)大磯丘陵のTephrochronologyとそれにもとづく富士及び箱根火山の活動史 地理評学評論 41 241-257.
    • 町田 洋・鈴木正男・宮崎明子(1971)南関東の立川・武蔵野ローム層における先土器時代遺物包含層の編年 第四紀研究 10 1-20.
    • 町田 洋・新井房夫・村田明美・袴田和夫(1974)南関東における第四紀中期のテフラの対比とそれに基づく編年 地学雑誌83 302-338
    • 新井房夫・町田 洋・杉原重夫(1977)南関東における後期更新世の示標テフラ層―特性記載とそれに関する諸問題― 第四紀研究 16 19-40.
    • Machida (1975) Pleistocene sea level of south Kanto, Japan, analysed by tephrochronology. in Suggate, R.P. and Cresswell, M.M.(eds). Quaternary Studies. Royal Society, New Zealand, Bulletine.13, 215-222.
    • 町田 洋・新井房夫(1976)広域に分布する火山灰-姶良Tn火山灰の発見とその意義 科学46 339-347
    • 町田 洋・新井房夫(1979)大山倉吉軽石層-分布の広域性と第四紀編年上の意義 地学雑誌88 313-330
    • Machida(1981)Tephrochronology and Quaternary Studies in Japan. In Self,S. and Sparks, R. S. J. (eds.) “Tephra Studies”, 161-191, D.Reidel Publishing Company.
    • 町田 洋・山崎晴雄・新井房夫・藤原 治(1997)大峰火砕流堆積物-北アルプス形成史研究のための一指標テフラ 地学雑誌106 432-439
    • 町田 洋・大場忠道・小野 昭・山崎晴雄・河村善也・百原 新(2003)「第四紀学」323p.朝倉書店
    • 町田 洋・新井房夫(1992)「火山灰アトラス」東大出版会 276p.
    • 小池一之・町田 洋,2001「日本の海成段丘アトラス」CD-ROM3枚 カラー付図2 解説書105p. 東京大学出版会
    • 町田 洋・新井房夫(2003)「新編火山灰アトラス」東大出版会 336p.
    • 佐瀬 隆・町田 洋・細野 衛(2008)相模野台地、大磯丘陵、富士山東麓の立川-武蔵野ローム層に記録された植物珪酸体群集変動―酸素同位体5.1以降の植生・気候・土壌史の解読― 第四紀研究 47 1-14.
    • Smith,V. C. , Staff, R. A., Blockley, S. P.E. Ramsey, C. B., Nakagawa, T., Mark , D. F., Takemura, K., Danhara, T., Suigetsu 2006 Project Members1(2013)Identification and correlation of visible tephras in the Lake Suigetsu SG06 sedimentary archive, Japan: chronostratigraphic markers for synchronizing of east Asian/west Pacific palaeoclimatic records across the last 150 ka. Quaternary Science Reviews, 67,121-137.

17:30 祝賀会 学士会館2階201号室 42名参加

▲町田洋博士
▲歓談の一コマ
▲花束贈呈
▲集合写真