福地信世
明治10年(1877)7月15日生-昭和9年(1934)5月22日没(満56歳)
東京帝国大学理科大学地質学科を卒業し、大学院に進んだ後、古河鉱業会社に入社して昭和6年(1931)まで勤務した。また、帝国大学理学部講師、地学会、地質学会、日本鉱物会などの幹事、主幹を務めた。この間、主に中国、南洋諸島の地質を調査した。生前の功績に鑑み、岩手県花輪鉱山の黒鉱鉱床から発見された新鉱物が福地鉱(Fukuchilite)と命名されている(昭和44年(1969))。
東亜写生帖
- 東亜写生帖(以下の各写生帖の説明)
- 日露戦役満韓旅行(明治37年(1904)11月-38年2月)
- 朝鮮旅行(明治44年(1911)5月-8月)
- 朝鮮(大正14年(1925)10月)
- 鮮満(昭和4年(1929)5月-6月)
- (欠) 支那旅行(大正元年(1912)8月-12月)
- 中華民国(大正3年(1914)12月-4年3月)
- 支那(大正5年(1916)11月-12月)
- (欠) 支那(大正6年(1917)4月-6月)
- (欠) 大正7年支那旅行日記(大正7年(1918)5月-7月)
- 曲阜と泰山(大正7年(1918)6月)
- (欠) 支那大正9年(大正9年(1920)9月-12月)
- 大同の石仏(大正9年(1920)11月)
- 支那大正13A(大正13年(1924)10月-12月)
- 支那大正13B(大正13年(1924)10月-12月)
- 西比利亜春(大正8年(1919)6月-7月)
- 西比利亜秋(大正8年(1919)10月-12月)
- シベリヤマングワ1(大正8年(1919))
- シベリヤマングワ2(大正8年(1919))
- 馬来1日本出発よりシンガポール着まで(昭和2年(1927)9月-12月)
- 馬来2馬来半島、バタム島、スマトラ島(昭和2年(1927)9月-12月)
- 馬来3スマトラ島(昭和2年(1927)9月-12月)
- 馬来4バタム島、馬来半島バトパハ附近、ビンタン島(昭和2年(1927)9月-12月)
- 馬来5ジャバ島(昭和2年(1927)9月-12月)
- 馬来6ジャバ島、バタム島、ガラン島、馬来半島コーランポ附近(昭和2年(1927)9月-12月)
- 馬来7馬来半島マラッカ附近、シンガポールより日本帰国まで(昭和2年(1927)9月-12月)
略歴
- 明治10年(1877)7月15日生
- 明治33年(1900)東京大学地質学科卒業、大学院に入る
- 明治37年(1904)大本営附として金鉱調査班第4班に属し渡満東邊道一体を調査す
- 明治38年(1905)8月 古河鉱業会社に入社
- 明治38年(1905)11月 西部鉱業所炭礦調査の為出張
- 明治40年(1907)カナダ西岸池田湾銅鉱床調査、9月帰朝
- 明治44年(1911)朝鮮平安北道金産地調査
- 大正元年(1912)汎太平洋学術会議に頒布する英文案内記編纂
- 大正元年より大正年間 支那調査 大同炭田の利権掌握に参画
- 大正8年(1919)シベリア鉱床調査
- 昭和2年(1927)9月 オランダ領東インドリオ諸島ボーキサイト鉱床調査ビンタン島に鉱源発見
- 昭和6年(1931)10月 古河鉱業会社を退社
- 昭和9年(1934)4月 日満鉱業会社の委嘱により満洲揚家杖子鉱山等の鉱床調査
- 昭和9年(1934)5月22日(満洲より帰着して3日目)脳溢血により逝去(香語録追悼記144p)享年58歳(数え年)
東京地学協会における経歴
◆役員歴
- 明治34年(1901)5月25日 当日の名簿に会員の記載(入会年不明)
- 明治42年(1909)~昭和元年(1926) 主幹(現在の理事)
- 昭和2年(1927)~昭和9年(1934) 監事(現役監事で急逝)
◆講演
- 明治35年(1902)4月26日 例会 富士火山帯特に伊豆七島に就て
- 大正3年(1914)8月4日~7日 學術講演会 足尾銅山の地質及鑛床
- 大正4年(1915)6月14日 例会 南支那
- 大正11年(1922)8月21日 大分縣下學術講演会 地形と地質との關係
- 大正12年(1923)8月14日~23日 山口縣下學術講演会 中國の岩石、日本内彎の火山
- 大正14年(1925)8月6日~12日 長崎地方學術講演会 九州の地形、東洋の地質構造
- 昭和2年(1927)8月17日 伊豆七島學術講演会 伊豆七島の地形並に地質に就て
- 昭和5年(1930)8月7日~9日 北海道駒ヶ岳及濁川盆地研究地學講習会 演題不明
◆見学案内
- 明治35年(1902)4月1日(火)~5日(土) 第4回遠足会 伊豆大島
- 大正12年(1923)8月14日(火)~23日(木) 山口縣下學術旅行 萩町、宇部市、柳井町
- 大正13年(1924)8月13日(水)~19日(火) 北海道學術旅行 北海道謄振石狩地方
- 大正14年(1925)8月6日(木)~12日(水) 長崎地方學術旅行 長崎三菱造船所、高島炭坑、温泉火山、
- 佐世保軍港、玄武岩臺地、有田焼製陶工場
- 昭和2年(1927)8月15日(月)~21日(日) 伊豆七島學術旅行 大島、利島、新島、式根島、神津島、三宅島
- 昭和5年(1930)8月7日(木)~9日(土) 駒ヶ岳及濁川盆地
◆調査研究
- 明治44年(1911)~大正5年(1916) 支那地学調査
- 昭和4年(1929)200万分1東亜地質図編纂
◆紙碑(地学雑誌第46巻第7号巻頭に掲載)
未公表データの公開
福地信世は上記のように東京地学協会の講演会講師、見学会案内者を積極的に努め、また写生の名手としても知られ、見学旅行では得意のスケッチで参加者を魅了したとの記述が地学雑誌に残されている。その福地の手による写生帖が東京地学協会の書庫に永くほとんど人目に触れずに保管されていた。野外調査の基礎技術の一つであるスケッチについて明治、大正期の技術水準を示すものとして教育的価値が高いと考え公開した。 関連資料(記念出版「福地信世」)に記載された旅程表、地質概念図、地質図なども参考になろう。また、写真集、絵ハガキ集は明治後半から昭和初期にかけての日本の地質学者の活動を記録する資料としても貴重である。
関連資料
- 記念出版「福地信世」昭和18年(1943) 私家版
- 中華民国旅行絵ハガキ集(大正5年(1916)及び13年(1924))ページ
- 中華民国旅行絵ハガキ集(大正5年(1916)及び13年(1924))ハガキ
- シベリア旅行絵ハガキ集(大正8年(1919))ページ
- シベリア旅行絵ハガキ集(大正8年(1919))ハガキ
- 中華民国山西省大同県大同炭田写真集(大正9年(1920))
- 南洋旅行写真集(昭和2年(1927))
他に
- 遺稿 206P 昭和18年(1943)私家版 (Mineral Paragenesis in the Contact-Metamorphic Ore-Deposits, Found in Japan等を収録)
- 香語録(追悼記165p+追悼座談会95p)昭和18年(1943)私家版
がある。