「文化地質学」
 

日時: 平成28年6月11日(土)15:00~18:00

15:00~15:40

鈴木寿志(大谷大学)
「文化地質学 -人と地質学の接点を求めて-」

15:40~16:20

原田憲一(至誠館大学)
「平安京はなぜ1000年持続したか -文化地質学から考える-」

16:20~17:00

蟹沢聡史(東北大学)
「石を旅する -盾状地、テチスの海、沈み込み帯と石文化-」

17:00~17:40

奥村大介(東京大学)
「土の夢、石の夢 -大地の想像力のために-」

17:40~18:00

総合討論

 

場所: 東京地学協会 地学会館二階 講堂(東京都千代田区二番町 12-2)

   東京メトロ麹町駅5出口を出て左へ徒歩1分日本テレビ向い
   JR市ヶ谷駅から徒歩7分、四ッ谷駅から徒歩9分

 

要旨:

鈴木寿志(大谷大学)

「文化地質学 人と地質学の接点を求めて」

 そもそも学問は何のためにあるのだろうか?福沢諭吉の『学問のすすめ』によれば,しっかり勉強をした国民は身分の隔てのない国を造ることができるのだという.すなわち学問を国造りの基礎と捉えた.明治維新以降,私たちは地質学をドイツから輸入し発展させてきた.当初は資源探査のために地質調査が行われていた.今日ではダムやトンネル,建築物の地盤調査のために地質学が活躍する.こういった地質学の応用は目的がはっきりしており,人々に理解されやすい.

 一方で日本では,応用面だけでなく純粋地質学もさかんである.日本列島の成り立ちを明らかにするために,地質学者のS氏はプランクトンの化石を探し出しては地層の年代を精緻に求めることに余念がない.プランクトン化石の地質年代を知るために,S氏は化石の記載をしなくてはならない.いつしかS氏は,必死で微小化石の孔の数や棘の長さを調べるようになった.ここでふと思う.さて,何のために数ミクロンの穴の数を数えていたのだっけ?

 そもそも地質学は何のためにあるのだろうか?単に応用面だけではないのではないか.そう感じていた時,「文化地質学」に出会った.文化地質学はザルツブルク大学のVetters教授が1989年にKulturgeologieとして提唱した概念である.彼によれば,人類と地球の密接な関わりが文化・文明を生み出す原動力になったという.私たちが地球上に住む限り,人々は大地,すなわち地質,と必ず関わっている.そういう関わりを分かりやすく例示することで,専門家だけでなく一般の人々にも地質学の必要性を理解いただけるのではないかと考えられる.

 

原田憲一(至誠館大学)

「平安京はなぜ1000年持続したか -文化地質学から考える-」

 千年の都・京都は、明治遷都後も歴史都市へと転落することなく、今なお全国有数の伝統工芸品の主力産地である。文化地質学的観点から、平城京(奈良)と比すると、平安京の生産性と永続性が合理的に説明できる。

 まず水資源。奈良盆地の年間流出量が5.4億トンなのに対して、京都盆地は90億トンに達している。河川水は京野菜を育て、京染を支え、洪水時には肥沃な土を盆地に運び込んだ。舟運を発達させ、全国各地から資源を集めた。足元にある良質な地下水は、豆腐・湯葉、京菓子、酒・酢、味噌・醤油などを生み出し、京料理を発展させた。

 次に石材資源。北山の丹波層群と東山の花崗岩(白川石)は庭園と水石を発達させた。また、丹波層群の風化残留物は黄土や赭土(弁柄)に利用され、白川石から生じた白川砂は庭園に彩りを添えた。鎌倉時代に発見された鳴滝石は京刃物を研ぎ澄ませて、刀剣、寺院建築、木工、園芸、竹細工、紙細工、京料理などを発展させ、砥の粉は日本刀の手入れに用いられた。

 第三に粘土資源。盆地周辺の大阪層群の海成粘土は竹林を育み、硫黄木(つけ木)にも利用された。淡水成粘土は高級な壁土、京焼や京瓦、伏見人形などの陶土となった。

 文化地質学の観点からすれば、奈良は良質な水資源に乏しく、各種資源の輸送手段が陸路に限られていたので、高級な手工芸品の生産拠点となり得なかったのである。

 

蟹沢聡史(東北大学)

「石を旅する -盾状地、テチスの海、沈み込み帯と石文化-」

 今からおよそ250万年前、アフリカでホモ・ハビリスが石器を作り、道具を使い始めた。以来、人間と石との関わりは続いている。人間の住む世界は次第に拡大、発展、多様化した。人間とともに発展した石の文化は地域性があり、地質をよく反映していることが多い。古い地質体である楯状地では、まず、スゥエーデンにおいて氷河で削られた花崗岩の表面に青銅器時代の線刻画が刻まれている。さらに、サンクト・ペテルブルクの聖イサク寺院を建造したラパキビ花崗岩、あるいは楯状地の周辺に発達した台地を形成する古生代の赤色砂岩などが各地で利用されている。さらに、地中海周辺地域では、古代ギリシアの神々を祀った神殿、彫像、イタリアの多くのドゥオーモなど、石炭紀初期に生じたパンゲア超大陸の東にあったテチス海に堆積した熱帯、亜熱帯に特徴的な生物群の遺骸を含む石灰岩などを用いた石文化が発達した。アジアでも、アンコール遺跡の多くの建物に見られるように、古生代から中生代の砂岩が多用されている。日本で代表される沈み込み帯の石文化は、中生代の変成岩や花崗岩類が利用され、さらに新第三紀以降の火砕流堆積物に彫られた磨崖仏にその特徴が良く現れている。芭蕉が『おくのほそ道』で感動した松島、山寺、那谷寺、月山、象潟などは、この時代の火砕流堆積物や火山で造られた景観なのも一例となろう。

 

奥村大介(東京大学)

「土の夢、石の夢――大地の想像力のために」

 動物をめぐる夢想や物語には事を欠かない。ファーブル、シートン、メーテルランクといった書き手たちの作品とともに、動物や虫たちの世界に夢想を馳せたかたも多いだろう。だが、動物文学に比して植物文学というべきものは少なく、さらに鉱物文学と呼ぶべきものは、作者や作品の名をにわかに挙げることが難しいほどに、なじみの薄いものかもしれない。しかし、古代から現代に至る文化の歴史を丹念に眺めてみれば、そこには〈土の夢〉、〈石の夢〉と呼ぶべき一連の形象が見出される。私たちは鉱物を前に、どんな夢想を紡いできたのか。あるいは土や石や岩たちは、私たちに、どんな夢をみせてくれたのか。私たちは、ガストン・バシュラールやロジェ・ カイヨワといった思想家たちの〈物質的想像力論〉に導かれつつ、ルネサンス期の宝石詩からドイツ・ロマン派を経て20世紀のイタロ・カルヴィーノに至る〈鉱物文学〉の系譜を渉猟し、また古代のテオフラストスから19世紀ドイツの自然哲学を経てシュルレアリスムへと至る〈鉱物哲学〉の学統を捕捉し、以って〈大地の想像力〉と呼ぶべき夢の姿を明らかにしたい。それは、無機質な物質の味気なさといったものとはまったく無縁の、豊かな大地の、輝く鉱物結晶の夢である。大地とともに育まれた夢想の消息を、そして夢を見る土や石の歴史を、少し語ってみたい。