地学クラブ第282回講演会(10月)の予定が決まりましたのでお知らせします。講演終了後に講師を囲んで懇談の場も用意しています。一般(非会員)の方々も気軽にご参加ください。多数の方々のご来場をお待ちしています。

「伊能忠敬の業績と東京地学協会」

日時:平成25年10月26日(土) 14:00~15:30
台風27号が近づいていますが、予定通り開催いたします。

場所:地学会館講堂(地下鉄有楽町線「麹町」駅A5出口下車。左に2分

演者:星埜由尚(元国土地理院長・伊能忠敬研究会)

要旨:
伊能忠敬は、49才で隠居し、幕府天文方の高橋至時に師事して天文・暦学を専門的に学んだ。そして、子午線一度の長さを知りたいという学問的欲求から蝦夷地の地図を作るという名目で幕府の許可を得て全国測量を開始し、史上初めての実測日本図を完成させたことは、学校教育でも教えられている。

 忠敬は、1745年に現在の千葉県九十九里町に生まれ、長じて香取市佐原の豪商伊能家の婿養子に迎えられ、前半生は商人として財を築いた。若年時から学問を志し、天文・暦学に親しんでいたが、隠居後江戸に出て19才年下の高橋至時の弟子となり、55才の時から蝦夷地測量を皮切りに17年の歳月をかけて全国を測量して廻った。

 忠敬の測量手法は、導線法と交会法を組み合わせた初歩的な測量技術であったが、天体観測を徹底的に行い、経緯度を正確に求めようとし、誤差の低減に努力を傾注した。また、測量機器にも種々の工夫を施し、高精度の測量を実現を図った。その成果は、「大日本沿海輿地全図」としてまとめられ、忠敬の死後幕府に提出された。

 忠敬の測量には、幕府の支援のほか、各地の大名の協力もあった。忠敬は、「測量日記」を残しているが、これにより、測量の行程、各藩の協力などの実態を知ることができる。佐原の伊能忠敬記念館に所蔵されている伊能忠敬関係資料は、平成22年に国宝に指定されている。

 測量の成果である伊能図は、江戸時代には公開されなかったが、明治政府はこれを利用して国家の地図を作成し、明治16年には正四位が贈位されている。東京地学協会は、これを記念して「伊能忠敬先生測地遺功表」を東京芝公園に建立した。上記に略説した伊能忠敬の生涯と全国測量の全容を説明し、明治時代における東京地学協会との関わりについても述べる。